『ニューエリート グーグル流・新しい価値を生み出し世界を変える人たち』を読んで、自分の体育会的思考を反省

著者のピョートル・フェリクス・グジバチ氏はポーランド出身の日本在住17年。

「これからの働き方」をテーマにする本は多いけれど、日本の文化を少し違った切り口で語っているのは、おそらく著者が外国人であり、共産主義の解体により非常に過酷な少年時代を過ごしたからだと思う。

 

私はこの本を読んで、いかに体育会的な思考が自分に影響を与えているかを見直すきっかけになりました。

 

”日本人にはフィードバックが圧倒的に足りていない”のチャプターで著者は次のように述べています。

 

”日本人を見ていると、人から褒められた時、多くの場合「ありがとう、嬉しいです」で終わりにしています。非常にもったいない反応です。

具体的に「どこがよかったと思いますか?」と聞けば、成長につながる情報が手に入ります。「〇〇さんならどうしますか?教えていただきたいです」と掘り下げれば、新たな発見が見つかるはずです。”

 

 

これ、まさに私のことだなと思いました。

褒められると照れてしまって、「ありがとう」で会話を終わらせてしまうことが多いです。

 

相手に自分の感想を伝えることは自分自身を見せることでもあるので、実は結構勇気がいると思うんです。

その相手のフックを受けて会話を広げないともったいないなと思いました。

 

 

著者はこう続けます。

”ただし、ここで聞き方を間違うと、自分にとって受け入れがたいフィードバックを得ることになります。

代表例が「私の弱みはなんですか?」「その弱みをどうやって直せばいいですか?」という質問です。相手がよかれと思ってフィードバックしてくれても、「君は生意気なところがある」などと言われたら、やっぱり凹みます。

そもそも人は、ネガティブなフィードバックなど受けたくありません。だから、フィードバックを求めるときは、建設的でポジティブな聞き方をするのが基本です。”

 

これを受けて、私の中に、心の奥底ではネガティブなフィートバックなんで欲しくないと思いつつも、客観性を求めるために「批判的な意見も聞こうではないか」というような態度があることに気が付きました。

 

怒られて育ってきた(?)体育会的な性質なのか、成長するためにはネガティブなフィードバックを力に変えなければいけない。謙虚でいなければならないといった考えがありました。

 

これっておそらく体育的な組織に属していなかった芽生えていなかった価値観で、上司になった時にパワハラにつながってもおかしくない思考だなと思います。

 

自分に厳しくするのは勝手だけど、その厳しさを相手に求めたりするのは違うんじゃないかなと思います。

 

自分自身への戒めはもとより、最近久しぶりに一緒に飲んだ体育会出身の会社の同期の姿を見てそんなことを感じました。

 

 

著者は第5章の”楽しくなければ仕事はできない。部活のノリは学生時代で終わりにしよう”のチャプターでこうも述べています。

 

”苦痛を感じながらやった方が生産性が上がるとの信念を持っている・・・というより、苦痛を感じながら働くことが目的化しています”

 

うちの職場もこのように苦痛を感じながら働いているように見える人が大勢います。

 

一方で、違う世界には楽しく仕事をして、世の中に貢献している人がたくさんいるのも事実。

「下積み」の言葉に惑わされずに、自分の両足で立っていくことが大事ですよね。

 

 

ニューエリート グーグル流・新しい価値を生み出し世界を変える人たち

ニューエリート グーグル流・新しい価値を生み出し世界を変える人たち